ネタバレ許せますか、許せませんか

「ネタバレOKな人とNGな人」その違いは記憶能力のタイプにあった!(http://togetter.com/li/906768)がツイッターで話題になっていたので自分がネタバレに対してどういうスタンスかを考えてみました。

ネタバレは許せますか許せませんか、というざっくりした問いに対する答えは「許せない」派です。
自分が見ようとしているものはまず自分の目で確かめたい。ネタバレの多くにはそれを発信する人の主観が含まれていて、そのフィルターを通さずに見ることは二度とできません。知ってしまったことをなかったことにはできないので。
特に嫌なのは対象の核心に迫るような内容ですね。例えばミステリーの犯人、試合の勝敗、ライブのセットリスト。「それ」を知ること自体が読書や視聴の大きな目的である場合、ネタバレされることは通り魔に遭うようなものです。
もちろん、それが特に知っても構わない情報である場合もあるし、むしろ先に知っておきたい情報だから自分からネタバレを探しに行く場合もあります。
しかし欲しい情報に自由にアクセスできるこの時代において結局ネタバレの何が一番嫌かって、その辺りの情報収集のコントロールが自分でできないところじゃないでしょうか。知りたくない情報が容赦なく流れてくるストレス・・・。
少し前なら「だったらネットしなきゃいい」という意見に同意していたんですが、自分からアクセスしなきゃ見られないブログのような媒体ならともかく、ツイッターのように簡単に(しかも何の気なしに)情報共有できるツールでネタバレを完全にシャットアウトするのは無理だなと悟りました。どんなに気を付けていても、人の口に戸は立てられない。
だったらツイッターもやめてしまえばいいと言われればそれまでですが、ツイッターが友人他との連絡手段/生存確認手段になっている場合、数日ならともかく、例えば公演初日から自分がチケットを取った数か月先までずっとツイッターを見ない、という対策は現実問題として難しいんじゃないでしょうか。特におたく界隈ではツイッターくらいしか連絡先を知らない、という繋がりも少なくないんじゃないかと思います。
そんなおたく総ツイッター時代、ネタバレ肯定派の方々にせめてお願いしたいのは「作り手・演者が意図的に伏せている内容についてはそれを酌んであげてほしい」です。
特にライブとか舞台とか地域によって放送日が異なるアニメとか、人によって目にするタイミングが違うものについては、作り手の側も自分のブログや番組でのネタバレを避けることが多いですよね。やっぱり「自分の目で確かめてほしい」という思いがあってのことだと思うんです。ファンならできればその意図を酌んであげてほしいなーと思ってしまいます。
一方でネタバレ反対派として肝に銘じておかなければいけないのは「ネタバレを完全に避けるなんて無理」だということ。ツイッターを開けばなんでもかんでもリツイートされてくるし、ライブ会場の物販列に並べば「○○の曲で~」なんて無邪気なネタバレが聞こえてくる・・・その全てから身を守るのは無理です。諦めましょう。諦めたくないからといって「ネタバレやめてください」と特攻してもトラブルになる可能性の方が高く、それどころか「もっとネタバレするぞ」と返り討ちに遭う危険性もありますよね。
情報統制が叶わない以上、ネタバレを避けるためにできる最も有効な手段は「繋がらない」これに尽きると思うので、死ぬほどネタバレが嫌な人は何かを好きになった時に誰かとその感情を共有したいと思わないことです。実際、私はリアル友人以外の奈々オタと一切の繋がりを持たないことでツイッターでのネタバレを避けることに成功しています。そう、ネタバレとの戦いは孤独との戦いでもあるのです・・・。