松澤くれは『りさ子のガチ恋♡俳優沼』感想文

※ネタバレです

 

同名舞台の小説化。

26歳のOL・りさ子は、2.5次元俳優・瀬川翔太に生活の全てを捧げる。翔太に会いに行くためなら会社での居心地の悪さもチケット代やプレゼント代の工面に苦心する日々も厭わない。そんな時、翔太に熱愛疑惑が持ち上がり・・・。

 

舞台版でりさ子を演じた新垣里沙は、テニミュ出身俳優の小谷嘉一と結婚していた(過去形)。

当時は私も「舞台ってやっぱり出会い系!!」と息巻いたものである。

 

 

朝井リョウさんの『武道館』では、アイドルとしての自分に求められるものと、一人の女の子としての自分が求めるものとの乖離に葛藤する、タレント側からの視点で芸能界が描かれた。だからどうしてもステージの上の人たちの気持ちに寄り添った感想を持つことになる。

対して本作では、ステージ上の俳優に熱狂する客席のファン側の心理を中心に描かれる。りさ子が大好きな翔太に会うために食費や服飾代を削ってチケット代を捻出しようとすることも、翔太の言動や自分以外のファンの反応ひとつひとつに一喜一憂してしまう感覚も、見たい舞台やライブのために十数年遠征を続ける私にとっては「あるある!!」という感想しか浮かばない。といっても、「繋がりたい」とか「認知されたい」という思いはなく、「いつまでも客席からキラキラを見ていたい」という気持ちが強い。たまちゃんとアリスが必ずしもりさ子と同じ応援スタンスではないように、ファンの数だけタレントとの向き合い方がある。ただ、こっちも必死で応援しているんだから、彼らもそれに誠実に応えてほしいという思いは共通しているんじゃないだろうか。

 

作中では、翔太のライバル俳優・悠の心情も描かれている。蹴落としたい俳優と「ビジネスBL」営業をしたり、もらったプレゼントにケチをつけたり、2.5次元舞台を「芸術性の欠片もない舞台」と内心こきおろしていたり、セフレがいたり・・・ファンにそれとは悟られないようしたたかに振る舞う悠の姿もまた生々しい。自分の人気が作品キャラクターの人気の上に成り立っていると悠はきちんと理解しているし、芸能界における自分の立ち位置を必死で掴み取ろうとする姿は、ある意味ものすごく「誠実」だ。女の子と遊んだり、作品や共演者をバカにすること自体を嫌だと感じるファンがいるのは仕方がない。私も、自分の好きな人には本音と建前が一致していてほしいと思う。けれど、ただ目の前の仕事に真面目にこなしていけば生き残れるほど芸能界はやさしい世界ではないのも事実だ。

 

「アイドル(に限らず、アイドル的な存在)の恋愛を嫌だなって思うのはなんでだろう」というのは、自分の中で長年考えてきて答えの出ないテーマだった。

好きなタレントに恋愛なんてしてほしくない、と感じる理由はファンの数だけあるだろうが、ひとつはりさ子の言う「親目線」ではないだろうか。本作のタイトルは「ガチ恋」だけど、りさ子は翔太と恋愛関係を築きたかったわけではないんじゃないか。別れたら他人になってしまう恋人ではなくて、絶対に裏切らない、繋がりが消えることのない特別な存在――息子のような――でいてほしかったのではないかな、と。

熱愛発覚がネットニュースに上がると、そのコメント欄には決まって「自分と付き合えると本気で思っているのか」とファンを嘲笑するコメントが付く。もちろんそういうファンもいるだろうけど、「誰のものにもならないでほしい」から、恋人の存在にショックを受けるファンは少なくないと思う。これは「自分だけの彼でいてほしい」という気持ちとは似ているようでちょっと違う。理想の押し付けと言えるかもしれない。

いつもいつまでも「私の考える理想のあの子」でいてほしいという欲求は、『武道館』では「容姿の劣化」とか「上から目線のアドバイス」という形で愛子たちアイドルを推し潰してしまっていた。それでいてファンはあっさりファンをやめてしまったりもするから、タレントにとってファンは有り難くも身勝手な存在に映るだろう。

けれど、ファンは時間やお金を費やしてファンをやっている。それ自体は本人の勝手だけれど、タレントの「求めていない姿」に対してファンがノーを突きつけるのもまた自由だ。タレント自身に「こう見られたい」という明確なビジョンがあっても、それに対価を払う理由がないと判断すればファンは離れていく。厳しいようだが、恋愛スキャンダルで多くのファンが離れてしまうタレントは「脇目も振らずに仕事をしている」以外の価値がないと判断されたということだろう。実際、一途さに頼らなくても仕事ができているタレントは、比較的恋愛・結婚による人気低下のダメージが少ない。偉そうなことを言うつもりはないけれど、やりたいことをやりたいように続けるためには「代えの利かない技術を磨く」か「優等生を極める」のどちらかしかないのが現実だろう。

ファンが見たい姿とタレントが見せたい姿が一致しているのは、奇跡的な巡り合せなのだ。